事業譲渡と株式譲渡で変わる財務DDの範囲 — 簿外債務を引き継ぐのはどちらか
このトピックを深掘りする
スモールM&Aの財務DD
個人・スモールM&Aの財務デューデリジェンス実務 — 見るべき指標・数字の裏取り・費用の現実解・価格交渉への変換
全7本中 7 本目。
次に読む記事
スモールM&Aの財務デューデリジェンス完全ガイド — 会社を買う前に見るべき6つの数字
数百万〜数千万円規模のスモールM&Aで、買い手自身が財務DDの一次スクリーニングを行うための完全ガイド。EXIT3回でDDを受けた経験と財務DDツール開発の知見から、見るべき6指標・裏取り・進め方・価格交渉への変換までを解説。
スモールM&Aの簡易DDチェックリスト — 買い手が最初に依頼する資料と確認項目
買い手が財務DDで最初に依頼する資料8点と確認手順のチェックリスト。各資料の「見る目的」、決算書と申告書の突合、残高の裏取り、質問リストの作り方まで、自力でできる範囲を実務形式でまとめた。
財務DDの費用相場 — 会計士外注・自力・ツールの使い分けと予算の目安
財務DDにいくらかけるべきか。会計士フルDDの相場50〜100万円/件を軸に、買収価格帯別の費用対効果、「ふるい→絞り込み→外注」の順序、論点を絞った部分委託の考え方をスモールM&Aの買い手向けにまとめた。
シリーズ全体の流れを見ながら、次に読む記事へ進めます。 初めての方はホームへ →
この記事で答える質問
スモールM&Aの二大スキームである株式譲渡と事業譲渡で、買い手がやるべき財務DD(デューデリジェンス)の範囲はどう変わるのか。特に、簿外債務を引き継ぐのはどちらなのか。
結論から書く。
- 簿外債務がついてくるのは株式譲渡。会社を丸ごと引き継ぐため、決算書に載っていない負債・偶発債務・過去の税務リスクも自動的に承継する。だからDDは「見えない負債を掘る」方向に重くなる
- 事業譲渡は、承継する資産・負債を契約で選ぶ。原則として選ばなかった債務は引き継がない。だからDDの重心は「買う資産の実在性」と「買う事業単体の収益力」の確認に移る
- ただし事業譲渡もゼロリスクではない。屋号をそのまま使い続ける場合の弁済責任など、例外の入口だけは知っておく必要がある
なお本稿は買い手が論点を整理するための実務メモであり、法務・税務の助言ではない。スキーム選択と契約設計の個別判断は、必ず弁護士・税理士に確認してほしい。
2つのスキームは「何を買っているか」が違う
株式譲渡は、株主が入れ替わる取引だ。会社という箱はそのまま残り、中身——取引契約、許認可、従業員との雇用契約、そして負債——は一切動かない。買い手が受け取るのは株式であり、株式を通じて箱ごと全部を支配する。
事業譲渡は、箱の中から資産・負債・契約を個別に取り出して買う取引だ。工場と在庫と顧客リストは買うが、借入金は置いていく、という切り分けが契約でできる。そのかわり、取り出すもの一つひとつに移転の手続きがいる。
この「丸ごと」と「選んで」の違いが、DDの範囲をそのまま決める。何を引き継ぐのかが違えば、何を調べるべきかも違ってくる、という単純な対応関係だ。
対比表 — スキームで何が変わるか
| 論点 | 株式譲渡 | 事業譲渡 |
|---|---|---|
| 承継の単位 | 会社丸ごと(包括承継) | 選んだ資産・負債のみ(特定承継) |
| 簿外債務・偶発債務 | 自動的に引き継ぐ | 原則引き継がない(例外あり) |
| 過去の税務リスク | 引き継ぐ | 原則引き継がない |
| 許認可 | 原則そのまま使える | 原則取り直し |
| 取引契約 | 原則そのまま | 相手方の同意を得て巻き直し |
| 従業員 | 雇用契約そのまま | 個別の同意を得て転籍 |
| 手続きの重さ | 株式の移転で完結 | 対象ごとの移転手続きが積み上がる |
| 財務DDの重心 | 見えない負債の探索 | 買う資産の実在性・事業単体の収益力 |
株式譲渡のDD — 「見えない負債」を掘る
会社ごと買う以上、決算書に載っていないものまで含めて引き継ぐ。だから株式譲渡の財務DDは、ピラー記事で解説した6指標のフルセットに加えて、負債側の精査に時間を割く。
- 純有利子負債の内訳。とりわけ役員借入金の処理(放棄・資本振替・引き継ぎ)を契約で確定する
- 決算書と法人税申告書3期分の突合。帳簿にない債務の痕跡は税務側に出ることがある
- 保証債務・担保提供の明細。他社の借入の保証人になっていないか
- 未払残業代や係争の有無。数字ではなくヒアリングと議事録・契約書の確認で探る
それでも掘りきれない領域は残る。そこは表明保証・補償条項・価格調整という契約設計でカバーする。スモール案件では税務DDを丸ごと省く例をよく見かけるが、株式譲渡でそれをやるのは、過去の申告リスクを無査定で引き受けるということだ。せめて申告書突合だけは自分でやり、違和感があれば論点を絞って税理士に依頼したい。
事業譲渡のDD — 「買う資産」を数える
選んで買うスキームでは、選んだものが本当に存在し、期待どおりに稼ぐかの確認が主戦場になる。
- 資産の実在性。在庫は実地で数え、売掛金は回収可能性を確かめ、設備は稼働状態を見る
- 事業単体の収益力。会社全体ではなく、買う事業だけのPLを切り出す。小さな会社には部門別損益がないことが多く、按分の妥当性をどう確かめるかが腕の見せどころになる
- 移転コストの見積り。契約の巻き直し、許認可の再取得、従業員の転籍同意——それぞれに時間と費用と「移転できないリスク」がある。主要取引先が契約巻き直しを渋ったら、買った事業の売上はその分消える
簿外債務を原則引き継がない点は事業譲渡の大きな利点だが、例外はある。代表例が、譲り受けた事業の商号・屋号をそのまま使い続ける場合に旧債務の弁済責任を問われうるルール(会社法上の商号続用責任)だ。ほかにも債務引受の設計や、譲渡が既存債権者を害するとみなされる場合など、法務の確認が要る入口がいくつかある。「事業譲渡だから負債は関係ない」とまでは言い切れない、と覚えておけばよい。
価格と税金にも跳ね返る — 「同じ事業」でも手取りと支払いが変わる
スキームの違いはDDの範囲だけでなく、お金の流れ方も変える。買い手の目線で押さえておきたいのは次の2点だ。
ひとつは消費税。株式の譲渡は非課税だが、事業譲渡では建物や在庫など課税資産の部分に消費税が乗る。同じ「3,000万円の買い物」でも、事業譲渡では支払総額が変わりうるので、資金計画の段階で織り込んでおく必要がある。
もうひとつは売り手側の手取りの違いだ。株式譲渡と事業譲渡では売り手に掛かる税金の構造が異なるため、売り手には「こちらのスキームなら手取りが増える」という事情がしばしばある。買い手が事業譲渡を望み、売り手が株式譲渡を望む——という綱引きは、実はお互いの税負担の差から生じていることが多い。この差額は価格交渉の材料になる。スキーム変更で売り手の手取りが増えるなら、その一部を価格の引き下げとして分け合う交渉は十分に合理的だ。
具体的な税額計算は案件の条件次第で大きく変わるため、この段階で税理士を入れる価値がある。DDの費用を惜しんで数百万円単位の税負担差を見落とすのは、順序が逆だ。
従業員と許認可 — 「移転できないもの」が事業の価値を決める
事業譲渡のDDで数字に表れにくいのが、人と許認可の移転リスクだ。
従業員の転籍には一人ひとりの同意がいる。スモール案件の価値は少数のキーパーソンに集中していることが多く、その人が転籍を断れば、買った事業の中身が空になる。DDの段階で、誰が実務を握っているのか、その人は承継後も残る意思があるのかを、売り手経由でよいので確かめておきたい。
許認可は業種によって重みがまるで違う。建設業や運送業、飲食や介護のように許認可が事業の前提になる業種では、取り直しに掛かる期間が事業の空白期間に直結する。取り直しの要件を満たせるか、その間の売上をどう扱うかは、価格交渉の前に確認しておくべき論点だ。
スキーム選択はDDの結果で動かしてよい
実務では、スキームは最初から固定ではない。株式譲渡の前提でDDを進めた結果、簿外リスクの匂いが強く出たので事業譲渡への切り替えを交渉する——という展開は普通にありうる。逆に、許認可の取り直しが現実的でない業種なら、簿外リスクを表明保証で固めてでも株式譲渡を選ぶ判断になる。
つまりDDは「買うか買わないか」だけでなく、「どの器で買うか」を決めるための情報収集でもある。財務の一次スクリーニング(6指標の算出とベンチマーク比較)はどちらのスキームでも共通に必要で、その結果が器の選択に跳ね返る、という順序で考えると整理しやすい。
まとめ
- 簿外債務・税務リスクを引き継ぐのは株式譲渡。DDは負債の探索と契約カバー(表明保証・補償)に重心を置く
- 事業譲渡は選んだものだけ承継する分、資産の実在性・事業単体のPL・移転コストの確認が主戦場になる
- 事業譲渡にも商号続用責任などの例外があり、法務・税務の個別確認は省けない
- 6指標の一次スクリーニングはスキーム共通の土台。結果次第でスキーム自体を交渉し直してよい
一次スクリーニングには拙作の DD Tool が使える。決算書の数字から6指標とリスク判定をブラウザ内で自動計算する(財務データは外部送信されない)。DDの全体像はスモールM&Aの財務DD完全ガイドを参照してほしい。
よくある質問
- Q. 簿外債務を引き継がないのは株式譲渡と事業譲渡のどちらですか?
- 原則として事業譲渡です。承継する資産・負債を契約で選ぶため、選ばなかった債務は引き継ぎません。ただし譲り受けた事業の商号・屋号を続用する場合の弁済責任など例外があり、ゼロリスクではありません。株式譲渡は会社を包括承継するため、簿外債務も自動的についてきます。
- Q. 株式譲渡で税務DDを省略してもよいですか?
- 勧めません。株式譲渡では過去の税務申告のリスクも会社ごと引き継ぐため、税務DDの省略は過去の申告を無査定で引き受けることと同じです。最低限、決算書と法人税申告書3期分の突合は自分で行い、違和感のある論点だけ税理士に絞って依頼すると費用を抑えられます。
- Q. 事業譲渡なら財務DDは不要ですか?
- 不要にはなりません。重心が変わるだけです。買う資産が実在するか(在庫実査・売掛金の回収可能性・設備の稼働状態)、買う事業単体でいくら稼いでいるか(部門別PLの切り出しと按分の検証)、契約巻き直しや許認可再取得などの移転コストがいくらかかるかの確認が主戦場になります。
- Q. DDの途中でスキームを変更できますか?
- 交渉次第で可能ですし、実務ではよくある展開です。株式譲渡前提のDDで簿外リスクの兆候が強く出たため事業譲渡への切り替えを申し入れる、といった形で、DDの結果はスキーム選択の材料になります。逆に許認可の取り直しが難しい業種では、表明保証を厚くして株式譲渡を維持する判断もあります。
- Q. 表明保証があればDDは省略できますか?
- できません。表明保証はDDで掘りきれない領域を契約でカバーする補完手段であり、違反時に売り手へ補償を請求できる資力があるかにも依存します。スモールM&Aでは売り手個人の資力に限界があるため、まずDDでリスクを特定し、残余を表明保証で埋める順序が原則です。